二人のロートシルト

ワインファンであれば必ず知っている銘柄にラフィットロートシルトとムートンロートシルトがあります。

この二つはともにメドックの格付けで1級に位置し、世界的な評価も高くまさにトップ中のトップのワインとして長いこと君臨しています。

しかし、ではなぜこの二つの傑出したワインが同じロートシルトと名乗るのかはあまり知られていないかもしれません。

カンの鋭いワインファンであれば

「ロートシルト家が持っていたワインが二つに分かれたのじゃないか」

と思うかもしれません。

実際にボルドーの格付けシャトーは相続やお家騒動で分割されたところも多く、それぞれ似たような名前が残っているので全くのはずれというには惜しい気がします。

 

しかし、実際にはもともとシャトーは分かれていて、これを同じ一族のジェームスとネイサンのロートシルトが19世紀に購入することで二つのロートシルトが生まれるのです。

当時金融界のエースだった二人は、どのようにして傑出する二つのシャトーとかかわるのでしょうか。

ここでざっくりとみてみましょう。

 

 

二人のロートシルト

ジェームスとネイサン

フランクフルトのユダヤ街で古銭商の売買で成功したマイヤー・アムシェル・ロートシルト(1744~1812  ↑)は、ウィルヘルム公お抱えの商人となり、やがて各国の王室と太いパイプを持つようになります。

すでに莫大な資産を形成したアムシェルは経済的に困窮する国王を見ると積極的に融資をし、これがきっかけで政治経済を陰で掌握し、一大政商として成長するのです。

 

このロートシルト家は後に国際経済を揺るがすほどの金融業者になるのですが、成功の一つの理由はアムシェルの五人の息子をそれぞれオランダ・英国・フランス・イタリア・ドイツの各国に住まわせ、連携をとらせたことにあります。

そしてこのうちの特に優秀だったフランスのジェームス・ロートシルトとイギリスのネイサン・ロートシルトがのちにボルドーワイン界で相まみえることとなるのです。

 

 

 

ネイサンロートシルト

イギリスに配置されたネイサンロートシルトは、冷徹で辣腕、現地の金融市場で常に中心にいた人物でした。

ネイサンの一挙手一投足は常にほかの市場参加者の注目を集め、実際にネイサンの取引は証券市場を左右するまでになるのです。

 

その辣腕は金融市場伝説ともいえるトレードによって現在も語り継がれています。

1815年、ネイサンはワーテルローの戦いでナポレオンの敗戦を一族の情報網からいち早くキャッチします。

そこで自身の持つイギリスのコンソール債を一気に投げ売り、ネイサンが売却をしたニュースを聞いたイギリス金融市場を大混乱に落とし込むのです。

 

市場関係者は当初こそパニックになりますが、すぐに冷静になり、

「ネイサンがなげうったということはナポレオンが勝利したということか。ネイサンは絶対に知っているはずだ!」

と判断をするのです。

市場参加者は続々とコンソール債を売却。売りが売りを呼んで公債は大暴落をします。ネイサンの策略だとは誰も知らずに。

 

ネイサンはしばらく市場を静観し、もうこれ以上待つと真相が市場の知ることになると判断すると、二束三文になったコンソール債を一気に買い占めます。

そしてその直後、ナポレオンの敗戦を市場が知ることとなると今度はコンソール債は暴騰、逆にパニック的に上がったところをネイサンは一気に売り抜け、莫大な財産を築くのです。

 

このネイサンの息子のナサニエルが1853年にメドックのシャトームートンを買収。これがのちのムートンロートシルトです。

 

なお、ムートン買収の1853年といえば1855年の格付けの直前ですが、当時の格付けでまさかの2級とされます。

流通価格や業者の評判では1級を確実視されていたにもかかわらず、2級の格付けは様々な憶測を呼びました。

もちろん真相は誰も知らないのですが、一つの説に買収のタイミングの問題があります。

1853年ころのボルドーはバブルがはじけ、貴族が次々にシャトーを売りに出し、これを海外資本の銀行家が次々に買収することをボルドーの酒商連中はよく思っていなかったのです。

格付け前の買収劇の主役であったムートンが2級になったのは、この買収のタイミングが影響しているのではないか、というのが有力説となっています。

 

 

ジェームスロートシルト

一方、パリのジェームスロートシルトはネイサンとは正反対でした。

当時パリで最も華やかだといわれたフェリエ―ル邸を買い取り、さらに贅沢に改修して当時ヨーロッパ随一のサロン(社交場)に成長させます。

ジェームスは伊達男として知られ自らそのサロンの主役となり、美貌で知られる姪のベッティとともにここを社交界の中心地とさせるのです。

画家のドラクロワ、詩人のハイネ、軍司令官のシャンガルニエ将軍はここの常連で、これを知った各国のVIPが押し寄せ、さらに社交場としてのステータスをあげるのです。

(ジェームスはサロンに一流の料理が必要だと考え、当代随一の料理人を招聘しますが、これがアントナンカレームです)

 

しかし折悪しく普仏戦争がおこります。このフェリエ―ル邸はパリ包囲の際にビスマルクの手に落ち、司令部として使われることとなるのです。

戦争終結にあたりビスマルクがフランス政府につけた条件は50億フランの賠償金でした。50億フランの支払いがあればすぐにでも占領軍を撤退させるというのです。

これは何を意味するのかというと、払えるはずのない賠償金を設定することで撤退する気は毛頭なく、少しでも長くパリに居座ってやろうというものだったのです。
(このときのパリの占領軍はやりたい放題で、ありとあらゆる悪事が平然と行われていた)

 

しかし、実際には賠償金はすぐに支払われ、プロイセンは撤退をします。

なぜでしょうか?お金はないのに?

 

フェリエ―ル邸を奪われたジェームスは奮起し、ロートシルト家を総動員し、賠償金支払いのために発行されたフランス国債をすべて消化、つまり50億フランもの巨額を一族で用立てするのです。

これは何を意味するのかというと、フランス国家の債権者として政治経済に圧倒的な力を持ったということで、これがのちのワイン界にもおおきな影響を与えるのです。

このジェームスが後日買収したのがシャトーラフィットで、のちにラフィットロートシルトとするのです(買収の際ジェームスは死の直前で、実際には3人の息子がジェームスの代理人として売買契約をした)。

 

空前の好景気だったボルドー

では、ラフィットとムートンのあるボルドーはそのころどうだったかというと、このころはパリに次ぐ近代的な商業都市として知られる存在だったのです。

すでに名声を博していたワインや木材などがその源泉であったのもそうですが、それよりも西インド諸島との貿易の街として、ここに資金が大量に流れ込むのです。

西インド諸島は当時一般大衆にまで浸透した砂糖の産地で、これが莫大な利益を生みます。

貿易路はヨーロッパの産物をまずはアフリカに運び、そしてアフリカから奴隷を西インド諸島に送り、さらに西インド諸島から砂糖を運ぶという三角貿易のシステムが確立していました。

 

経済的な繁栄と文化がうまれると、徐々に貴族や成功した商人がこれに目をつけ、ボルドー市から少し離れたメドック近辺に土地を買収し、シャトーを建設しだします。

これは誇りと利潤の両方をもたらし、貴族の間にボルドーでシャトーをもつことが一つの流行となり、現在のボルドーシャトーの原型が生まれることとなります。

19世紀にはいると現在のボルドーワインのスタイルはある程度出来上がり、そして1855年のシャトーの格付けでクライマックスを迎えます。

 

しかし、経済的にはボルドーのバブルは格付けのころにはすでにはじけていたのです。

1830年にボルドー銀行は破たんし、1850年ころには各シャトーは運営に困窮するようになっていました。

そして貴族がついにシャトーを手放すようになると、これを買ったのがヨーロッパ各地で名をはせた銀行家だったのです。

 

商業銀行を味方につけたネゴシアンのバルトンがランゴアバルトンを、

スペインの銀行家アグアド家がシャトーマルゴーを、

フランス金融界の寵児アシルフールはベイシュヴェルをそれぞれ買収します。

 

そしてこれに遅れてイギリスのナサニエル(ネイサンの息子)がシャトームートンを1853年に手に入れます。

この流れの最後にジェームスがラフィットを444万フランで買収するのです。

 

この金額がどういうものか、つまり前述のパリ包囲のプロイセン撤退の賠償額が50億フランでしたからその1200分の1、つまりパリ全体の1200分の1でたった一つのシャトーを買ったということなのです。

 

では、当時としては破格の金額を用意してまで何故ジェームスはラフィットにこだわったのでしょうか?

 

パリ社交界の主役であったジェームスはあらゆる美術品のコレクターとしても知られ、銀行家が続々と買収するシャトーの流れから言えば、そのどれよりも格が上のシャトーでないとだめだったのです。

(外国出身の銀行家がシャトーを続々と買収するのを面白く思わなかったボルドーのネゴシアンは、結束して立ち向かおうとしたのですが、ロートシルト家には全く歯が立たなかった)

 

 

さて、ラフィットもムートンもメドックのポイヤックで一級の位置にありますが、では現在はどのような評価になっているでしょうか。

お察しのとおりこのクラスのワインになると評価は上限いっぱいで、こうなると優劣ではなく個性の問題で、ユーザーの好みでしょう。

一般的に言って、ラフィットはエレガントでそう強くはありません。

色は濃いのですが黒みが強いかといわれるとそうでもなく、5大シャトーの中では比較的早く飲み頃が来ます。

パワフルではないのですが繊細で柔らかく、知的美といえばラフィットでしょう

 

一方のムートンは色が濃く、パワフルでワインのほうから訴えかけるような強いメッセージ性のある味わいが特徴です。

迫力があって濃厚、豊潤さはラフィットに勝ります。

 

このように見てみると、同じポイヤックの似たような畑にある二つのシャトーがここまで違う個性を持つのは、ジェームスとネイサンの二人のロートシルトがあってこそなのかもしれません。

運よくお飲みになるチャンスがあった際は、二人のロートシルトがどのような思いでムートンとラフィットを買ったのか、思いをはせてみてはいかがでしょうか。

 




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