貴腐ワインは、甘口ワインの一つで、特定のカビ菌を繁殖させることで糖分の高いブドウ果汁を得て造るワインのことを指します。
フランス語ではPOURRITURE NOBLEといい、そのまま訳すと”高貴な腐敗”ということになります。
ボトリティスシネレアというカビ菌がブドウの皮に付着し、これによって小さな穴が生まれ、そこからブドウ果実の水分が蒸発します。
カビ菌ですのでブドウに付着し増床する過程で様々な反応をし、これがワインに絶妙な味わいを生むのです。
もっとも、カビ菌は収穫の時に都合よく繁殖してくれないといけません。
ブドウの生育期に繁殖するとワインに悪い影響を与え、そのため収穫する直前まではできる限り繁殖しない環境がいいとされているのです。
この環境は世界的にも限られた特殊な条件がそろった地域に限定されていて、栽培は大変に難しいとされています。
さらに収穫も手摘みで選別して行うため、一般的に貴腐ワインは他のワインに比べて大変に高価になります。
この貴腐ワインのうち、特に品質が高いこととして知られているのが
・ドイツのトロッケンベーレンアウスレーゼ
・フランスのソーテルヌ(シャトーディケム)
・ハンガリーのトカイ エッセンシア
これらが世界三大貴腐ワインと称されています。
ここまではワインファンであれば知っている方は多いかもしれません。
しかし、では実際にどのようにして生まれたのかはあまりしられていません。
それもそのはず、カビの生えたブドウをワインにしようとするので、これが大っぴらにできない理由になってしまうのです。
領主によっては「なんでカビの生えたブドウからワインを造ったのだ」と処罰されてしまうかもしれません。
そうなると、できればそこにはふたをしてしまおうということか、歴史的な資料にはほとんど残っていないのです。
貴腐ワインとは言っても、よくよく見てみると素人目にはいかにも悪くなったブドウにしか映らないでしょう。
これをワインにしようというからには相当の理由があったのではないか?という推測がたちます。
ここでその成り立ちを少し見てみましょう。
貴腐ワインとは?
起源はドイツ?
貴腐ワインといえばシャトーディケムがあまりにも有名なため、ディケムこそが貴腐ワインの起源だと思っている人は多いかもしれません。
しかし歴史上の史実から言えば貴腐ワインの起源はドイツであるとする説が有力です。
ドイツはもともと寒冷なため穀物栽培が主力で、そのため大方のイメージ通り昔からビール大国でした。
一般市民はビールをがぶ飲みしてはいましたが、とはいえ貴族階級の中でも一部の人たちは樽で運ばれたワインを飲んでいたのです。
そして事の成り行きで自国でも造れないかということになり、プロブス帝の時代に国家推奨によるワインづくりが始まります。
まずはファルツからラインヘッセンのあたりにブドウ栽培が始まりますが、時代の流れはブドウよりも麦などの穀物栽培に重きが置かれ、次第にブドウ畑は石ころだらけの川の斜面に追いやられます。
結果的にはこれがワイン用のブドウ栽培には適していて、良いワインを生む環境の基礎となるのです。
寒冷地のドイツではブドウの収穫後、発酵の途中で自然と酵母の活動が止まってしまい、これが甘口ワインを生む契機となります。
(酵母が果汁中の糖分を食い尽くす前に気温の低下によって活動が停止してしまい、糖分が残る)
当時のワイン愛好家は甘口ワインに嗜好が傾いていたため、これが好都合でした。
ドイツのワイン造りはこのようにして自然現象を利用する形で甘口ワインを造る素地ができるのです。
ライン川の東西ベクトル
ドイツの西端をはしるライン川は、船舶輸送が主要な運搬手段だった頃、ヨーロッパ経済の大動脈でした。
そのためライン川流域で造られる上質なワインはヨーロッパじゅうに知れ渡り、一大ワイン産地としての名声を博すのです。
多くのドイツ産ワインは川を行き来する船によって各地に運ばれ、英国でもボルドーのクラレットと同様の扱いを受けていました。
ドイツワインの中にあって、何といってもスター的なワインはラインガウでしょう。
北方するラインガウはマインツのところで45度左折して向きを西にし、ビンゲンのところでまた向きを変えて北上する。
この間の東西に流れる一帯の斜面のうち北川は、南向きの斜面のため、このわずかな場所がいよいよ注目されるようになるのです。
1778年
18世紀のドイツではブドウの収穫は許可制になっていて、栽培農家が勝手に収穫してはいけないことになっていました。
ラインガウの許可者はフルダの修道院長でしたが、あるとき栽培農家にちょっとしたハプニングが起こるのです。
「おい困ったぞ。収穫の申請は終わっているのに一向に許可の通知が来ない。
周辺のブドウ畑の収穫はとうに終わっているのに、これではブドウが悪くなってしまうではないか。」
これは許可を伝える使者が遅れたことが原因だったのですが、この間にブドウは干からびて悪くなってしまい、これではとても収穫できる状態ではありません。
そして使者が到着し、ようやくブドウ収穫の許可が出たころにはブドウはカビだらけでおしゃかになってしまったのです。
しかし、当時の許可とはつまり「収穫せよ」という命令なので、それでも栽培農家は仕方なく収穫し、そして半分やけくそでワイン造りを行ったのです。
するとこれまでにない深みと極上の甘味をもったワインが生まれ、これが貴腐ワインの誕生だ、とされています。
(もっとも、諸説あるので話半分程度にするのが無難です)
当時、ラインガウの一帯はオーストリア領で、この辺りのブドウ園のワインも出来上がりは首都ウイーンの貴族の食卓を飾ります。
そしてディナーでふるまわれるうちに元々は失敗から生まれたこのワインはクラシックワインとなり、貴腐ワインへと立場を押し上げることとなるのです。
ソーテルヌの起源は?
では、現代貴腐ワインの最大産地であるソーテルヌの起源はどうだったのでしょうか。
この地では17世紀ころから甘口ワインが評判で、よく熟したブドウから造られる甘口ワインを多く輸出していました。
19世紀には甘口ワインの最高峰として知られることとなるのですが、このころはソーテルヌのワインには貴腐ワインという概念はなかったようです。
資料に残っているものはたいていが遅積みの手法で仕上げられていて、現在の感覚から言うと若干違和感を感じるでしょう。
そして貴腐ワインを造ったという歴史的な資料ということになると、なんと1930年代と近年なのです。
ただし歴史家のあいだでは、実際にはもっと古くから貴腐ワインが造られたという説が有力です。
おそらくカビの生えたブドウからワインが造られたという事実に蓋をしたかったため記録がないのだろう、という仮説が立てられています。
トカイワイン
世界三大貴腐ワインは、ここで紹介したドイツのトロッケンベーレンアウスレーゼとソーテルヌ、そしてもう一つがハンガリーのトカイワインです。
トカイワインの起源は諸説ありますが有力なものはラコーツイ家の礼拝堂専属の牧師がオレムシュ種のブドウをトカイヘジャリアに植えたことに始まるとされています。
これが記録されているのがなんと1650年のことで、ドイツのラインガウよりも120年前、ソーテルヌは300年近く前のことになります。
甘口ワインであったことはわかっているのですが、ただしどこまで人為的に貴腐ワインを造っていたのかは実際にはよくわかっていないといったほうがいいかもしれません。
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